黒猫 サビ猫 毎日が三拍子

人生は三拍子、ときに変拍子。

「空は青い。僕らはみんな生きている」

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私は路上で知らない人から声をかけられやすいタイプの人間だ。
旅先で、知らない場所の道順を聞かれることも少なくない。
どしゃぶりの雨の中、住宅街を歩いていて、いきなり宗教の勧誘を受けたこともある。
今朝も、アルバイトで管理員をしているマンションに出勤するため、自転車を走らせている途中、突然、60代くらいの女の人に「あのぉ……」と声をかけられた。

相手は徒歩、こちらは自転車。
声をかける側にとってかなりハードルが高いと思うのだが、曲がり角で自転車のスピードをゆるめたとたん、私を待っていたように呼び止められた。
ここは地元。暮らして半世紀。たいていの場所は知っている。
遅刻ぎりぎりの時間で、数秒も無駄にしたくないが仕方ない。キキっと自転車のブレーキをかけた。
「どうしました?」
どこに行きたいの?なるべく説明の簡単なところにしてね。時間ないんだから。
そんな私の心の声の、斜め上を行く質問がその女の人から飛んできた。
「私の頭、治る?」
えええっ!?

私は彼女の表情をみつめ、ちらりと頭に目をやる。
さしあたって頭部に外傷はなさそう。
となると、治したいのは内側か。
たいそう不安げな顔だ。
たとえ病んでいる人であっても、いや病んでいる人ならなおさら、ここはきちんと応対したい。
しかし時間はない。
私を選んで声をかけてくれた彼女に、短い時間でどんな言葉を返すのがベストなのだろう。
信号待ちの暴走族のように、頭の中は猛スピードで空ふかしを続けた。
迷う私に畳み掛けるように、再度、彼女は問いかける。
「私の頭、治る?」
気の利いた人なら、もっと何か言いようがあっただろうが、私の口から出た言葉はこれだった。
「大丈夫。治るよ」

何が大丈夫なのだろう。無責任もはなはだしい。
しかし、そんな内心とは裏腹に、わたしは反射的に彼女に向かって自信満々に微笑んでいた。
「うん、大丈夫!」
その答えに安心したように、彼女は次の質問を私にぶつけた。
「腰の痛いのも治る?」
さすがに即答はできなかったが、今度も自信を持って(いるように見えるように)答えた。
「治るよ、きっと!」

彼女が欲していたのは、こんないい加減な答えだったのだろうか。
しかしそんなことを細々と考えている余裕はなかった。
申し訳ないが遅刻してしまう。
一刻も早くこの立ち話を切り上げなければならない。
路上で声をかけるのは道に迷った時、そんな原点に立ち返って、今度は私が彼女に確認の意味で質問をした。
「これからどこに行くのかは、わかる?」
彼女はすぐに答えた。
「仕事」
そうか、仕事か。近所には障がい者雇用枠のある大きい会社がある。もしかしたらそこに勤めているのかもしれない。いずれにしろ、勤務先なら道に迷うことはないだろう。
「じゃ、道はわかるね。心配ないね。私もこれから、仕事なの。一緒だね」
私は、彼女のまるい肩をぽんぽんと撫でるように叩いた。
「じゃあ、私も仕事に行かなくちゃならないから、もう行くね。お互い仕事、がんばろうね。行ってきます!」
彼女は私の方を見て笑った、ような気がした。
私はそんな彼女の笑顔に向かって、少しわざとらしいくらい声を張って言った。
「行ってらっしゃい!今日も一日、がんばろうね」

彼女はこの後、前を向いて、職場に歩いて行けただろうか。
私はそのまま彼女に背を向け、自転車を走らせてしまったので、その後のことはわからない。
でも、ある朝、不安でたまらなくなり、思わず通りすがりの誰かに声をかけてしまった彼女の心細い気持ちは、なんとなくわかる。
私だっていつの日か、彼女のように不安でたまらなくなり、路上の誰かに声をかけてしまうことが、決してないとはいえない。

だから私は今も彼女のことが、少しだけ気にかかっている。

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