読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

黒猫 サビ猫 毎日が三拍子

人生は三拍子、ときに変拍子。

I'm home

ふつうの日常

ただいまの声がゆるりと闇に散り「変わりはないか」と猫に問う夜

 

f:id:otozie:20141206212905j:plain

広告を非表示にする

孤独という、どんぶり鉢の底から

ハッチハッチェル

昨日は吉原kickersで下八のライブ。
笑った…。そして、泣きそうになった。
泣きそうになったのは、「道」って曲。
ハッチさんのかく曲はなんてやさしいんだろう。
不器用で、協調性がなくて、
毎度毎度、孤独というどんぶり鉢の底をなめている人間の魂に
きちんと手を差し伸べてくれる。
負けてばかりで、というか勝負自体からいつも逃げている弱い人間の存在も、
ちゃんと認めてくれる。
ありがたい。
何があっても、「泣きながら、笑う」よ。
ハッチさん、いつもありがとう。

f:id:otozie:20141206144647j:plain

花が咲くのを待てばいい

ハッチハッチェル

先週末、渋谷BYGでのハッチハッチェルバンドのワンマンショーから1週間。
まだ何となくぼんやりとその余韻にひたっている。

わたしがあんまり好きだ、好きだとしつこく言うせいか、彼らのことを知らない人から「どんなバンドなの?」「どこが好きなの?」とよく聞かれる。
そんな時、なかなかうまく答えられない。でも、今日はちゃんと言葉にしてみようと思う。

ハッチハッチェルバンドの素敵なところ。
ま ずは、メンバーがステージに揃い、演奏が始まると、一瞬にして生まれる怪しくて、面白くて、あたたかい、独特の空気。どんなライブハウスでも野外でも、す ぐにそこは、20世紀のヨーロッパのサーカス団というか、昭和の日本の演芸会場というか、まぁ、とにかくハッチハッチェルバンドワールドとしか言えない、 彼らの色に染まってしまう。
それは、世界でたった一つの、音の出る絵本を見ているような、とくべつな景色。

残念ながら彼らは8月のステージを最後に活動休止を発表。
だからわたしは、このお気に入りの絵本を、しばらく本棚にしまっておかなくちゃいけない。
先日の渋谷では、ライブの間、そんな寂しさが頭をよぎって、何度か泣きたい気持ちになった。その夜も彼らのパフォーマンスは楽しくて、愉しくて、笑うのに忙しくて、涙なんて出る暇はなかったけれど。

そう、彼らの音楽は「楽しい」。
なんといってもこれが、ハッチハッチェルバンドの最大にして最強の魅力。
むずかしいことなんて、考えなくていい。
聴いてると気持ちが軽やかになって、つらい気分、かなしい気分も、ゆるゆると溶けていく。
ライブの後は、「色々あるけど、明日もがんばろ」って気持ちになる。
でも、それは負けてる人にがんばれって肩を押す、「人生の応援歌」っていうのともちょっと違う。
彼らの世界にはたぶん「勝ち」とか「負け」といった価値観は存在しないから。

ハッチハッチェルバンドにとって、人生は勝ち負けを争う徒競走じゃなく、つなわたり。
つなわたりだから、誰もが時には落っこちる。
たとえ落ちても、笑って、やり直せばオールオッケー。
どんな人間も、どんな人生も、まるごと肯定。
もしかして人類の最初の宗教は、こんなものじゃなかったのかしら、と思うこともある。

ステージの上で、時にサーカスの団長(with 鞭!)、時にイタリアの道化師みたいに振る舞う、ハッチハッチェルバンドのリーダーのハッチさんのつくる曲は、笑っちゃうほど楽しくて、自然に心が(身体も)踊ってしまう。
でもよく聴くと、奥の方の見えないところに、フルーツの種のように小さな痛みがそっと隠れている。
傷ついたこと、傷つけたこと、落ち込んだこと、人を恨んだこと、そんな痛みの種から生まれているから、このフルーツはあまくて、優しい。

もちろん甘い果実は、種なんて気にしないで、まるごと食べてしまえばいい。
おいしいものをみんなで仲良く分けあって、楽しくいただいて、幸せになる。
それがハッチハッチェルバンドのライブ。
辛いことがあったなら、いったん全部、地面に埋めて、花が咲くのを待てばいい。
花が咲いたら、みんなで陽気に歌えばいい。
そう教えてくれるのが、彼らの音楽。
だからこそ、明るさも、くだらなさも、バカバカしさも、いろんなものを突き抜けて空にのぼった太陽みたいに、きらきらと輝くのだと思う。

f:id:otozie:20141206144314j:plain

犬の玩具

ふつうの日常

病を抱えながら一人暮らしを続けていた76歳の叔父が、ついに力尽きて入院した。

もうこれ以上、治療ができないため、普通の病院ではなく、限りなくホスピスに近い看護付き老人施設だ。

たぶん、もう家には戻れないだろう。 

 

先日、母と長兄である伯父と私の3人で、主のいない叔父の部屋に短い間、集まった。

ずっと独身で通した叔父には自分の家族はいない。

介護保険でレンタルしていたベッドの返却に立会い、きれい好きの母によって不要物がほとんど片付けられた居間で、母と伯父が今後のことを話しあっていた。

といっても、伯父はほとんど耳が聞こえないので、母がホワイトボードを持っての筆談だ。

「Xデーがきたら葬式はどうするか」とか、けっこう深刻な話なのだが、ホワイトボードとマーカーを使っての老人同士の会話なので、なんとなくのんびりと間が抜けている。

 

叔父の部屋は、12階建ての新築の県営住宅。エレベーター付きで、マンションと相違ない外観。

抽選倍率の高い人気物件だが、同じ敷地内に建っていた老朽化した前の住宅の住人を優先的に、ということでラッキーにも、希望通りの部屋に入居できたらしい。

8階にある南向きのその部屋は、老人の一人暮らしには広すぎるほど広い3LDKで、駿河湾が一望でき、日当たり、風通し抜群。おまけに家賃は、びっくりするほど安い(それは叔父が年金暮らしの低所得者だからだが)。

せっかく、こんないい部屋に恵まれたのだから、もっと長く、この部屋に住んでいたかっただろうに。

私は、病を抱えた叔父が、この部屋で一人、何を考え、どんな風に生活していたんだろう等と思いながら、真夏でもエアコン要らずの快適な窓辺で、ぼんやり風に吹かれた。

 

「これ、病室に持っていってやろうかねぇ」 と、突然、母の声がした。

 

振り返ると、母が犬の玩具を持って立っている。

それは、全長が大人の肩幅くらいのフワフワとした手触りの犬のぬいぐるみだった。

しかし、ただのぬいぐるみではなく、電池で動くらしい。人の声に反応して、鳴いたり、甘えたり、しっぽを振って歩いたりする、あのアイボのローテク版みたいなものだ。母は言った。

「あの子(母にとっては70代の老人でも、手のかかる末の弟だ)、これ、自分で買ったんだって」

「ふうん」

私は、一人暮らしの老人が、電池で動く、子供用の犬のぬいぐるみを買うところを想像した。お孫さんへのプレゼントですか、なんて聞かれたのだろうか。なんだか胸が痛くなりそうなので、あまり考えないことにしてすぐに答えた。

「持っていってやりなよ」

「でも4人部屋だから、他の人に迷惑がかからないかねぇ」

「電池を抜いて、鳴かないようにすればいいじゃん」

「そうだねぇ。そうしようか」

母は、どこからか犬の玩具の空き箱をさがしてきて、持ち帰るためにしまい始めた。そんな母を横目に、私はまた、この部屋で叔父がどんな風に暮らしていたんだろうと思いながら、ぼんやり風に吹かれた。

 

f:id:otozie:20151110201855j:plain

広告を非表示にする

足の下にはデタラメな地層

ハッチハッチェル

なんでも、忘れていく。
たのしかったことも。かなしかったことも。
心を震わせてくれた誰かの言葉も。映画のワンシーンも。本のページも。
でも。いったん忘れてしまっても、
脳は、勝手に潜在意識というクローゼットの中に押し込んで、
ふとしたときに、今度は都合のいいように記憶を書き換えて、
心地よい「思い出」につくりかえてくれる。
記憶の敗者復活戦。
たぶん、そんな勝手な「思い出」が、何層にも積み重なったものが人生。
地層だからおもたい。
おもたいけど、実はデタラメ。
みんながそれぞれ、そんなデタラメな地層を抱えて生きている。
そう思うと人生って、なんてバカバカしくて、素敵なんだろう。
なんてことを、昨夜のハッチハッチェルバンドのライブをみながら思いました。

どうせ一度の人生なら、グチをいったり、悩むより、笑ったり、楽しんだりする時間が多い方がいいにきまってる。

清志郎清志郎と言っているわりに、
いまは、ハッチハッチェルに夢中。女なんてそんなものよ。

f:id:otozie:20151109201452j:plain

otozieの最近観たビデオ