黒猫 サビ猫 毎日が三拍子

人生は三拍子、ときに変拍子。

ミルフィーユ

義母が亡くなってから、 長谷通りを過ぎてアイセルの前の道を車で通るたびに、いつもすこし涙ぐんでしまう。
その場所で、相棒のシルバーカートを隣に置き、 舗道の縁石にちょこんと腰掛け私を待っていてくれた姿をつい思い出してしまうからだ。

月に1度、アイセルで開かれていた句会に通うのが、 病院以外、晩年の彼女の唯一といっていい外出だった。 正直、毎月、車で送り迎えをするのが面倒だと思った時もあったけれど、 桜の季節、新緑の季節、後部座席に義母を乗せて お堀端の四季のうつろいを感じながらの小さなドライブは、 私の人生の中でかけがえのない幸せな時間だったように思う。
お堀端の風景と、義母のわらった顔が重なる。
ハンドルを握ったまま、思わずバックシートを振り返ってみる。 もちろんそこに義母はいない。
彼女がいないだけで、私は何も変わらず、いつまでたってもうまくならない運転で車を走らせる。

義母のいる世界といない世界。
それは、薄いセロファンをはがしたように、同じようで別物だ。 私たちの住むこの世界は、同じようで別物の幾つもの世界がミルフィーユのように薄く何層にも重なってできているのかもしれない。
地球は、そうやって何億光年も前から、 世界という薄皮をはがしたり重ねたりをくり返しながら、永遠に宇宙を漂い続けているのだろう。

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