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黒猫 サビ猫 毎日が三拍子

人生は三拍子、ときに変拍子。

しあわせの可視化

「しあわせ」なんていう抽象的なものは、一体どんなものかもハッキリわからないし、もちろん目に見えるものじゃない。

けれど、誰もいない家に「ただいま」と帰りつき、猫の寝姿をみつけると、ああ、もしかしてこれが「しあわせ」というものなんじゃあないかと思うことがある。

何もしなくていい。ただそこにいるだけでいい。いのちというものの本質とは、そういうことじゃないだろうか。うん。たぶん幸せとは、ただここで生きているということだ。

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川のいろ

雨の水曜日。こんな雨の朝はくるりの「ばらの花」が似合うなぁといつものように思いながら、ずいぶん昔の出来事を思い出した。

台風が直撃した日の翌朝。
保護者の送迎当番で、当時中学1年の息子のバレー部仲間たちを車で、試合会場のO西中学まで送って行ったのだけれど、安倍川を渡るとき、そのうちの一人が、濁流で変化した前日の川の様子を
「昨日の安倍川なぁ、コーヒー牛乳飲み放題だったぜ」と表現していた。
「コーヒー牛乳みたいだったぜ」ではなく、「コーヒー牛乳飲み放題だったぜ」。ちょっと不思議な言葉世界。そんな彼らももう今年で二十歳になる。

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わたしたちは生きている

今夜はこども病院にボランティアに行く日で、
ほんとは少しめんどくさかったけれど、
行けば必ずそんな気分から救われるっていうのがわかってたから、行った。

夜の闇に漂うベッド。
何に使うのかよくわからない計器の中で、点滅する数値と小さな光が呼吸するように動いている。
消灯時間の過ぎた、ほの暗い灯りだけの、カーテンで仕切られた小宇宙。

ベッドの柵から腕を伸ばして、小さな指先に触れてみる。
やわらかい。あたたかい。
年齢も、性別も関係なく、
ただの裸の「いのち」と「いのち」がつながって、
一つのかたまりになったような不思議な感覚。
「わたしたちは生きている」という静かな実感。
そうしてゆっくりと、ベッドの上の小さな手から、わたしにエネルギーが注がれる。

そんな時、確信する。
わたしも、こども病院で、きっとどこかを治療されている。

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銀の翼と赤い空

いつもの老人ホーム。
91歳のAさんは、カレンダーをちらりと見てつぶやいた。
「今日(6月19日)は静岡大空襲の日だね」

Aさんは、静岡市の中心部、B町の生まれ。
68年前の真夜中、ご両親と弟と、防空頭巾の上から布団をかぶり、浅間通り商店街の軒下を這うように、浅間神社の赤鳥居をめざして逃げた。

その日は天気がよかったはずなのに、突然、空からパラパラと小雨が降ってくる。
と思ったら、それは油。
「燃えやすいようにと、焼夷弾を落とす前に最初に油をまいたのねぇ」

B29は驚くほど低空飛行で、頭上に迫ったジュラルミンの翼の色まで、Mさんははっきり記憶している。
「どんな人が操縦しているんだろう」
Aさんが、怯えながらも火の粉の舞う赤い空を見上げると、操縦桿をにぎっているアメリカ兵の表情まで見えた。
「あ、目があった!」と思った瞬間、機体から爆弾が落とされ、Aさんの斜め後ろにいた人がバタリと倒れ、動かなくなった。
「あれは私を狙ったのよ」と、Aさんは今でも信じている。

「こんなこと、今まで誰にも話したこと、なかった。話せてよかった。
私はほんとうに太平洋戦争が憎い。陸軍が憎い。東条英機が憎い」
30分以上話し続けた後、それまで、いかにも上品な奥様といった穏やかな話し方していたAさんが、鬼ような形相で、吐き捨てるように言った。

Aさんが今でも憎んでいるのは、アメリカ軍ではなく、
敗戦を知りつつも、降伏を拒否し、結果、広島、長崎、沖縄、特攻隊、学徒出陣と、多くの犠牲者を生んだ、大日本帝国陸軍なのだ。

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砂糖菓子のひとかけら

月に一度か二度、近所の特別養護老人ホームにボランティアに行っている。
ボランティアといっても、なんの取り柄も資格もないわたしは、そこの住民である爺さま、婆さまたちに会いにいき、一時間ほど、ただおしゃべりするだけだ。
そこで出会う人生の先輩たちの中には、何度、通っても「はじめまして」からスタートする人がいるかと思えば、最近めっきり記憶メモリが劣化してしまったわたしなんかよりずっと頭脳明晰な人もいる。

白い髪をボブカットにし、いつもうっすら薄化粧の美しい麻子さんもそんなクール&クレバーなお婆さまの一人。90歳近いというのに、所長以下、ホームにいるスタッフの名前もほとんど全員覚えている。同じ入居者の中に、年下のボーイフレンドだっている。

麻子さんの日課は、その仲良しの矢之助さんの車椅子を押しながら、6階にある自室から、エレベーターで一階の談話室にコーヒーを飲みに降りてくることだ。(このホームでは、コーヒーボランティアが2時から3時まで、コーヒーショップを開いている)
麻 子さんは、ここでコーヒーを飲む時は必ず、ソーサーなんてついていないホームの安物のコーヒーカップの下に、ティッシュペーパーを小さく折りたたんで敷 く。同席する矢之助さんとわたしにも、「はい、どうぞ」と、きれいに切りそろえられた細い爪を持つしわだらけの白い手で、カップに敷くティッシュを差し出 してくれる。決してカップをテーブルに直置きしたりなんかしない、エレガントな人なのだ。

こんな小さな所作一つとっても、「ただものじゃ ない」オーラが漂っている麻子さんは、ときどきわたしに、ティッシュを手渡すようにさりげなく、満 州、博多、京都にまたがる彼女の人生のストーリーの一欠片を話してくれる。それはまるでフィクションのように、壮大でロマンティック。だからわたしはいつ も、三時のおやつの子どものように、麻子さんにわけてもらった人生のひとかけらを、砂糖菓子のように、大切に味わうのだ。

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ミルフィーユ

義母が亡くなってから、 長谷通りを過ぎてアイセルの前の道を車で通るたびに、いつもすこし涙ぐんでしまう。
その場所で、相棒のシルバーカートを隣に置き、 舗道の縁石にちょこんと腰掛け私を待っていてくれた姿をつい思い出してしまうからだ。

月に1度、アイセルで開かれていた句会に通うのが、 病院以外、晩年の彼女の唯一といっていい外出だった。 正直、毎月、車で送り迎えをするのが面倒だと思った時もあったけれど、 桜の季節、新緑の季節、後部座席に義母を乗せて お堀端の四季のうつろいを感じながらの小さなドライブは、 私の人生の中でかけがえのない幸せな時間だったように思う。
お堀端の風景と、義母のわらった顔が重なる。
ハンドルを握ったまま、思わずバックシートを振り返ってみる。 もちろんそこに義母はいない。
彼女がいないだけで、私は何も変わらず、いつまでたってもうまくならない運転で車を走らせる。

義母のいる世界といない世界。
それは、薄いセロファンをはがしたように、同じようで別物だ。 私たちの住むこの世界は、同じようで別物の幾つもの世界がミルフィーユのように薄く何層にも重なってできているのかもしれない。
地球は、そうやって何億光年も前から、 世界という薄皮をはがしたり重ねたりをくり返しながら、永遠に宇宙を漂い続けているのだろう。

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歩く

セールスマン風のその男の人は、形の崩れた黒い営業かばんを持ち、
焦点の定まらない目をして、膝を曲げ、
残暑に背中を押されるように歩いていた。

訪問販売のノルマがあるのだろうか。
そのノルマは、彼がどんなに努力しても達成の見込みがないのだろうか。

彼は歩く。
右足を前に出し、その次に左足。そうすれば自然に一歩前に進む。
人生はそのくり返し。
そうやって、彼は生きている。
そうやって、わたしたちは生きている。

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