黒猫 サビ猫 毎日が三拍子

人生は三拍子、ときに変拍子。

祈りの波と、声の海

30人のお坊さんによる聲明(しょうみょう)を聴いたことがある。
お寺ではなく、パイプオルガンのあるホールで。
同じように「ここではないどこか」とつながるためのツールだからだろうか、グレゴリオ聖歌にも似た響き。
友人が「地面から湧き出るような男声」と評していたが、まさにその通り。
深く、やわらかな声のかたまりが、日常とはかけ離れた別の場所から届けられたかのようだった。
2時間のあいだ、魂が半分、ここではないどこかにもっていかれて、死んでしまった人たちの顔が、次々と浮かび、心の奥に潜んでいたその人たちへの懺悔の思いが、ひとつひとつ、傷をふさぐように鎮まっていく気がした。

あちらとこちらは、意外と近い。

波のように押し寄せる声に包まれて、ふっと、そんなことを感じた。
それならば、死ぬことも、死に別れることも、そんなに怖れることはないのかもしれない。そんな風にも思った。
(いや、実際にはこわいけれど!)

仏教、キリスト教イスラム教、ゾロアスター教、エトセトラ。
宗教や言葉や文化をこえて、祈りは一つ、生きることだ。

なんの根拠もないけれど、聲の波間に漂いながら、わたしはそう確信した。

 

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