黒猫 サビ猫 毎日が三拍子

人生は三拍子、ときに変拍子。

まちの、灯りと。

市会議員に立候補した友だちの応援のために選挙カーに乗ったことがある。
スタッフはボランティア。路地をゆっくりと、くまなく走り、小さなスペースがあると車を停め、伝えたいことを自分の言葉と声で伝えるために演説をする。そういう選挙活動だった。

同じ道を走るのでも、自分の車で普通に走るのと、選挙カーに乗って走るのとでは、見える景色がぜんぜん違う。

そんなことにわたしは気付いた。


一つ一つの住宅の窓。そこからこぼれる暮らしの匂い。夕暮れ時の小さな窓から発光するいのちの息吹。
わたしはそこに、日常という、かけがえのない宝の持つ、途方も無い力を感じた。
わたしたちはこの地球の上で、小さなまちをつくり、一日一日を笑ったり、泣いたり、怒ったり、悲しんだりして生きている。
そんなシンプルな真実を教えてくれる、何の変哲もない家々の、一つ一つの窓の灯りのすべてが、わたしにはとても愛おしかった。
日常。いのち。愛。
すべては目に見えないものだけれど、選挙カーから見えた窓の灯りに、わたしはそれらの欠片と輝きが見えた気がした。

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猫の手土産

もう去年のことになってしまったけれど、書いておく。

91歳で一人暮らしの義父(以後おじいちゃん)の話だ。

 

おじいちゃんは少し認知症が入っているので、息子である夫が食事の世話を兼ね毎日、朝晩、様子を見に行っている。その日もいつものように夫が仕事帰りに訪ねると、玄関先にマドレーヌの詰め合わせが置かれていた。
「これ、どうしたの?」と夫がたずねると、おじいちゃんは「猫がなぁ、飼ってくれって言って、置いていっただよ」と言う。
えっ、何だそれ。猫が自分で持ってきた?おじいちゃんのボケもついにここまで来たか。
夫も、その話を聞いた私も驚いたが、飼ってくれと自分で手土産を持って頼みに来た猫のビジュアルを想像すると何だか可笑しいし、マドレーヌも別にあやしい雰囲気ではないので、きっと誰か親戚でも差し入れてくれたんだろうと、そのまま頂くことにした。

 

数日後、同じ玄関先に、今度は袋に入ったみかんが置いてあった。
「どうしたの?」とたずねると、おじいちゃんは言う。
「猫がなぁ、飼ってくれって言って、また置いていっただよ」
「どんな猫だった?」と少し突っ込んでみると、白と茶のトラ猫だと言う。
そういえば二軒先のお宅の前辺りをいつも散歩している茶トラがいる。もしかしたらおじいちゃんは、その猫のことを言っているのかもしれない。
なんかヘンなの…と訝りつつも、脳天気な私たち夫婦はあまり深く考えずに、「おじいちゃん、すごいね。猫がおみやげ持って来るなんてごんぎつねみたいじゃん」と、そのみかんを遠慮なく頂くことにした。

 

そしてまた数日後。
謎は一挙に解けることになる。

 

その朝、夫がおじいちゃんの家を訪ねると、玄関先から猫を抱えた70代少し手前くらいのおばさんが出てきた。
おばさんは夫を見ると頭を下げ、「本当にいろいろお世話になりました」と、丁寧にお礼を言う。
わけが分からないといった風の夫の顔を見て、おばさんは説明してくれた。
ご近所の一人暮らしの老婦人が亡くなり、友人だったおばさんは、飼っていた猫の引取り手を求め、町内中を探し歩いたという。しかし、そんなに簡単に猫の飼い主など現れるわけもなく、困ったおばさんはおじいちゃんのところにたどり着いたそうだ。
「うちはアパートなので飼えないし、ご近所を回ってもどこも引き取ってくれなくて…。そんな時、こちらのお庭で飼わせてもらえることになり、たいへん感謝していたんですよ」
そう言っておばさんは、猫を抱きながら、夫にまた深々と頭を下げた。
えっ、庭で猫を飼っていた!?
あっけにとられている夫におばさんは続ける。
「でも…猫の具合が悪くて。心配なので、やっぱり私のアパートで面倒みようと思います。本当に今までお世話になりました」
夫がおばさんの抱いた猫に目をやると、両目には目ヤニらしきものがこびりついている。
確かにあまり元気ではなさそうだ。
そして猫は、白と茶のトラ模様だった。

 

おばさんが帰っていった後、夫が庭を見回すと、庭木が伸び放題で枯れ葉やガラクタが散らばった片隅に、ダンボールの「猫の家」があった。
おばさんがつくったのか、おじいちゃんがつくったのかは定かではないが、その猫ハウスには風呂のフタで雨よけの屋根もつけられ、ちゃんと水とエサ入れも置かれていた。私や夫がまったく気づかないうちに、茶色い猫はそこでしばらく暮らしていたらしい。
おじいちゃんの発言は、妄想でもボケでもなかったのだ。
ただ、ちょっと言葉の言い間違いがあっただけで。

「猫飼ってくれって言っておじいちゃんのところにお菓子を持ってきた」んじゃなくて、「猫飼ってくれって言ってお菓子を持ってきた」んだよね…。
そして、その前に主語の「おばさんが」が抜けてたんだよね…。
確かに「ちょっとした」間違いだけど、それはとっても大きな違いだったよ…おじいちゃん…。

 

おじいちゃんの家には、まだ猫ハウスがそのままにして置いてある。
そして私は、今度はどんな猫が手土産を持ってそこの住人になるのかひそかに楽しみにしている。

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しあわせの可視化

「しあわせ」なんていう抽象的なものは、一体どんなものかもハッキリわからないし、もちろん目に見えるものじゃない。

けれど、誰もいない家に「ただいま」と帰りつき、猫の寝姿をみつけると、ああ、もしかしてこれが「しあわせ」というものなんじゃあないかと思うことがある。

何もしなくていい。ただそこにいるだけでいい。いのちというものの本質とは、そういうことじゃないだろうか。うん。たぶん幸せとは、ただここで生きているということだ。

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川のいろ

雨の水曜日。こんな雨の朝はくるりの「ばらの花」が似合うなぁといつものように思いながら、ずいぶん昔の出来事を思い出した。

台風が直撃した日の翌朝。
保護者の送迎当番で、当時中学1年の息子のバレー部仲間たちを車で、試合会場のO西中学まで送って行ったのだけれど、安倍川を渡るとき、そのうちの一人が、濁流で変化した前日の川の様子を
「昨日の安倍川なぁ、コーヒー牛乳飲み放題だったぜ」と表現していた。
「コーヒー牛乳みたいだったぜ」ではなく、「コーヒー牛乳飲み放題だったぜ」。ちょっと不思議な言葉世界。そんな彼らももう今年で二十歳になる。

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わたしたちは生きている

今夜はこども病院にボランティアに行く日で、
ほんとは少しめんどくさかったけれど、
行けば必ずそんな気分から救われるっていうのがわかってたから、行った。

夜の闇に漂うベッド。
何に使うのかよくわからない計器の中で、点滅する数値と小さな光が呼吸するように動いている。
消灯時間の過ぎた、ほの暗い灯りだけの、カーテンで仕切られた小宇宙。

ベッドの柵から腕を伸ばして、小さな指先に触れてみる。
やわらかい。あたたかい。
年齢も、性別も関係なく、
ただの裸の「いのち」と「いのち」がつながって、
一つのかたまりになったような不思議な感覚。
「わたしたちは生きている」という静かな実感。
そうしてゆっくりと、ベッドの上の小さな手から、わたしにエネルギーが注がれる。

そんな時、確信する。
わたしも、こども病院で、きっとどこかを治療されている。

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銀の翼と赤い空

いつもの老人ホーム。
91歳のAさんは、カレンダーをちらりと見てつぶやいた。
「今日(6月19日)は静岡大空襲の日だね」

Aさんは、静岡市の中心部、B町の生まれ。
68年前の真夜中、ご両親と弟と、防空頭巾の上から布団をかぶり、浅間通り商店街の軒下を這うように、浅間神社の赤鳥居をめざして逃げた。

その日は天気がよかったはずなのに、突然、空からパラパラと小雨が降ってくる。
と思ったら、それは油。
「燃えやすいようにと、焼夷弾を落とす前に最初に油をまいたのねぇ」

B29は驚くほど低空飛行で、頭上に迫ったジュラルミンの翼の色まで、Mさんははっきり記憶している。
「どんな人が操縦しているんだろう」
Aさんが、怯えながらも火の粉の舞う赤い空を見上げると、操縦桿をにぎっているアメリカ兵の表情まで見えた。
「あ、目があった!」と思った瞬間、機体から爆弾が落とされ、Aさんの斜め後ろにいた人がバタリと倒れ、動かなくなった。
「あれは私を狙ったのよ」と、Aさんは今でも信じている。

「こんなこと、今まで誰にも話したこと、なかった。話せてよかった。
私はほんとうに太平洋戦争が憎い。陸軍が憎い。東条英機が憎い」
30分以上話し続けた後、それまで、いかにも上品な奥様といった穏やかな話し方していたAさんが、鬼ような形相で、吐き捨てるように言った。

Aさんが今でも憎んでいるのは、アメリカ軍ではなく、
敗戦を知りつつも、降伏を拒否し、結果、広島、長崎、沖縄、特攻隊、学徒出陣と、多くの犠牲者を生んだ、大日本帝国陸軍なのだ。

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砂糖菓子のひとかけら

月に一度か二度、近所の特別養護老人ホームにボランティアに行っている。
ボランティアといっても、なんの取り柄も資格もないわたしは、そこの住民である爺さま、婆さまたちに会いにいき、一時間ほど、ただおしゃべりするだけだ。
そこで出会う人生の先輩たちの中には、何度、通っても「はじめまして」からスタートする人がいるかと思えば、最近めっきり記憶メモリが劣化してしまったわたしなんかよりずっと頭脳明晰な人もいる。

白い髪をボブカットにし、いつもうっすら薄化粧の美しい麻子さんもそんなクール&クレバーなお婆さまの一人。90歳近いというのに、所長以下、ホームにいるスタッフの名前もほとんど全員覚えている。同じ入居者の中に、年下のボーイフレンドだっている。

麻子さんの日課は、その仲良しの矢之助さんの車椅子を押しながら、6階にある自室から、エレベーターで一階の談話室にコーヒーを飲みに降りてくることだ。(このホームでは、コーヒーボランティアが2時から3時まで、コーヒーショップを開いている)
麻 子さんは、ここでコーヒーを飲む時は必ず、ソーサーなんてついていないホームの安物のコーヒーカップの下に、ティッシュペーパーを小さく折りたたんで敷 く。同席する矢之助さんとわたしにも、「はい、どうぞ」と、きれいに切りそろえられた細い爪を持つしわだらけの白い手で、カップに敷くティッシュを差し出 してくれる。決してカップをテーブルに直置きしたりなんかしない、エレガントな人なのだ。

こんな小さな所作一つとっても、「ただものじゃ ない」オーラが漂っている麻子さんは、ときどきわたしに、ティッシュを手渡すようにさりげなく、満 州、博多、京都にまたがる彼女の人生のストーリーの一欠片を話してくれる。それはまるでフィクションのように、壮大でロマンティック。だからわたしはいつ も、三時のおやつの子どものように、麻子さんにわけてもらった人生のひとかけらを、砂糖菓子のように、大切に味わうのだ。

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